本日は、アナウンサー・歌手・司会等「声」のお仕事をされている
宮下さんにお話を伺いました。
―まずはじめに、お仕事の内容を伺います
基本的にはフリーアナウンサーです。
話をすること一般がメインです。
ラジオにもレギュラー番組を持たせていただいておりまして、
司会や、CMのナレーションをやったり、神奈川中心に広報のナレーション、
企業のプロモーションビデオのナレーションなど。
それから講演ですね。
そちらは介護現場から見えてきたことを子どもたちや大人のみなさんに紹介したり、海外へ視察へ行きましたので、海外の施設の現状をお知らせしたりしています。介護をする際にいちばん重要なのは私たちの心の在り方なので、それをお伝えしたりしています。
また、アナウンスに関して興味を持たれている方もいらっしゃるので
「話し方」「アナウンスの基本」という内容の講座をしたりもします。
朗読や歌のコンサート、介護に関する執筆、あるいは依頼を受ければコピーライトもしたりします。
―コピーもお書きになるんですか?
最初就職したときが、コピーライターで就職したんです。
最近、雑誌へも寄稿させていただいています。
それから音楽です。
―そうでしたね!歌も歌われるとか。どうしてそんなに多才なんですか!?
もともと歌を歌うのは好きで小さいころから歌っていたんですよ。
実は、10代の頃平尾昌晃さんにスカウトされたんですよ!
放送局へ入っても音楽が捨てきれなくて、ずっと歌っていて、
10年くらいまえから東京や神奈川などでライブを始めたんです。
―お仕事が順調なようにお見受けするのですが大変と感じられることはないですか?
マネジメントを自分で全部しているので、負担に感じることもあります。
私の仕事はタレント業のような側面がありますので、自分のやっていることを「売る」ということには難しさを感じますが、今のところひとりですべてこなしていますし、やりがいもあります。
―フリーになったきっかけは?
NHKに転職して、テレビとラジオの仕事をさせていただいたのですが、そのとき、仕事がハードだったことや精神的なことなどが重なって体を壊し、3か月くらい(進むべき道について)迷っていた次期がありました。
そのときに、東京のプロダクションで仕事の話があり、フリーとしてタレントの仕事を始めるようになったのが、きっかけです。
―多彩な分野で活動をされていますが、そのパワーはどこから?
私自身は、表現方法は様々でもやっていることは1つだと感じています。
文章や声や、音楽、表現方法はいろいろなのですが、「メッセージ」を伝えるという意味で1つなんです。
私の中では、ジャンルに分かれている、という感覚はなく、相手の方に受け入れやすい方法で伝えよう、という風に思っています。
―今後の活動についてお聞かせください
2007年、「茨城さとやま大使」「那珂ふるさと大使」に任命され茨城県の魅力を県の内外に紹介する活動を行っています。
私を育ててくれた環境、地域のみなさんには、本当に感謝しています。
茨城に恩返しをしたい。ふるさと大使としても頑張っていきたいし、
音楽を通して、茨城県の魅力を県外の方にも伝えていきたいです。
それから、老人ホームを慰問して高齢者の方にプロの音楽をお届けするという活動を2003年からはじめたので、こちらも力を入れていきたいと思っています。
―介護に関する講演や、ご執筆が多いのですが、介護に関わるきっかけは何だったのですか?
私の祖父が88歳から94歳までの6年間、介護をしました。
その頃私は、
ちょくちょく茨城へ帰ってきていました。
そのとき、実家のとなりに住んでいた祖父が、元気のない私を慰めようと作ってくれたおうどんが、美味しいとは思えなくて、涙が出てしまったのです。
これからはおじいちゃんに、おいしいものを食べさせてあげたいと思って、介護を決心しました。
介護を始めて気がついたのですが、おじいちゃんは何でも自分で頑張ろうとしていて、カーテンに番号を振ったり、下着の後ろと前がわかるようにしるしをつけていたり、
老いることを受容して、人に迷惑をかけないように生きていることに、とても感銘を受けました。自分がその年になったときに、同じようにできるかなと考えたときに、改めて尊敬を感じました。
おじいちゃんがここまで一生懸命生きてきたんだから、
私が最後に介入したことで、人生が幸せだったと、愛されていたと
感じてほしいという願いで介護を始めました。
―長い期間の介護で大変ではなかったですか?
介護ってけしてマイナスではなくて
何十年生きた人のその人の人生の集大成を見られるとっても素晴らしい機会。
その生き様を私たちに伝えていくので、1日でも粗末にできないと思います。
意識次第で、プラスにもマイナスにもなるのが、介護ですね。
私は、小さいころに、祖父にとても大切にされてきて、大事なことを伝えていただいていたことに恩返ししたいという思いがありました。結婚もしていませんでしたし、状況的にも、許される状況だったこともあって。
排泄の介助についても、誰かの力を借りなくてはいけないことって人生には何度かあるんですよね。隠せるか隠せないか、というだけの話。そういうことを、介護をしながら感じられましたので、犠牲になっているというような思いは、全くありませんでした。
フリーでラジオなどをしながらの介護でしたが、
たしかに、全面的に復帰するまでには3年かかりました。
でも、ちゃんとこうやって復帰できましたし、
今現場にいらっしゃる高齢者の方の環境を変えていきたいという思いから、介護に関する講演・執筆や、高齢者の方に音楽を届ける活動を始めました。
おじいちゃんが私にそういう活動へ向かうためのきっかけをくれた。
祖父に命の現場を見せてもらうことで、これを「やりなさい」と、舞台を用意されたと思っています。
それは、実際に介護をしてみなければ気づけなかったことだと思います。
―素敵なエピソードをお聞かせいただき、とても感銘をうけました。ありがとうございます。
―
最後に、女性起業家の先輩として女性に対してメッセージをいただけますか?
やりたいって思ったことは、意味があると思うし
それが出来ることだからやりたいと思うんだと思う。
一度きりの人生ですし、時間は戻らないので、
いろんな環境の中で、できることできないことはあるとは思いますが
そのなかで最大限頑張ってほしいと思います。
頑張っていると、必ず助けてくれる人は出てきます!このみゅーずnetみたいに(笑)
みんなで支えあいながら、できることが広がることもあると思います。頑張ってください!
―本日はお忙しいなか、貴重な時間を割いていただきまして、ありがとうございました。